大台ケ原を源流とする吉野川は北へと流れ、吉野町に入り国栖辺りで、中央構造線にぶつかり、その流れを大きく西に変えます。やがて流れは宮滝に差しかかります、宮滝には飛鳥時代に離宮があって貴族達が船遊びを楽しんでいました。
 ここに離宮が造られたのは、ここから青根ヶ峰が望めるからだといわれています。青根ヶ峰は東西南北の四方に川が流れ出す分水嶺であったため、水を司る神として崇められていて、水分神社が祭られていました。
 「よき人のよしとよく見てよしと言ひし吉野よく見よよき人よく見(天武天皇)」明日香から峠を越えてやってくる人々には、吉野は理想郷であり、川を連想させる処だったのです。
 吉野川は和歌山県に入ると紀ノ川と名前を変えますが、海を越えた中央構造線は四国を貫き、そこを流れるのも、吉野川だというのも、奇妙な偶然です。
 古代には川の吉野であったのが、中世には雪の吉野に変わり多くの和歌に詠まれています。今日の桜の吉野に変わったのは、西行以後のことでしょう。
 桜をこよなく愛した西行は、山あいに小さな庵を結びました。西行庵は、日本独自の美意識である侘び寂を感じさせる、私が吉野で一番好きな場所です。
 西行を敬慕し吉野の桜をめでる、芭蕉をはじめとする、多くの文化人も吉野を訪れています。これらの歴史には数多くのエピソードが秘められており、興味はつきません。
 2004年には、大峯奥駈道を含む、熊野三山へ通じる参詣道が世界遺産に指定されました、古くから修験道の修行の場としての大峯奥駈道の重要なポイントが、吉野には数多くあります。
 私が愛するこの町の魅力を、多くの人に知ってもらうためこのサイトが少しでも役立つことを願っています。